『アベンジャーズ:エンドゲーム』は何故つまらないか。問題点考察。

アベンジャーズ:エンドゲーム 映画 つまらない アクション

原題:Avengers: Endgame
2019年の映画
おすすめ度:☆☆☆


【一言説明】
指パッチン、再び。

 

※以下、完全なるネタバレです。映画を鑑賞された方のみご覧ください。
前作『インフィニティ・ウォー』もネタバレしてます。



アベンジャーズ:エンドゲーム 映画 指パッチン
……的な感じだったんですかね!
指パッチンって案外難しいからね!(ちなみに筆者もできないタイプだよ。やろうとすると、プフェッみたいな屁のような音が出るよ)

[adchord]
スポンサーリンク

あらすじ

荒ぶる支配者サノスの指パッチンから数か月……。
宇宙で死にかけていたところをキャプテン・マーベルに救われたトニー・スタークが地球へと帰還する。だが人口の半数を指パッチンにて失った星は失意と混乱に満ち溢れていた。
生き残った初代アベンジャーズことキャプテン・アメリカブラック・ウィドウ、そしてソーを含む面々は、サノスの娘ネビュラの助力もあり、彼が潜伏する星を突き止めることに成功する。
奮い立つヒーローたち。
今度こそ、サノスよりインフィニティ・ストーンを奪取し、失われた人々を取り戻すのだ。
宇宙船に乗り込んだキャプテン・アメリカたちは一路暴君の待つ星へと向かうが、そこで彼らが目にした光景とは……?

感想

公開初日のレイトショーで見てきました、『アベンジャーズ:エンドゲーム』!!!
『アイアンマン』から始まったアベンジャーズがついに完結するとあって、それはもう楽しみにして行きましたよ。感動しすぎて過呼吸が起きるんじゃないかって懸念しつつ行きましたよ!!
だって今作にはホークアイことジェレミー・レナー氏が復活するって話でしたしね!!! 
待っていた、レナー兄さん! 我ら一般人の星!
スーパーヒーローに混じってただ一人、「俺なんか弓だぜ」で戦う男!! いやっほーーい!

 *
 *
 *

だったのですが。

本作を気に入られた方には申し訳ないのですが、正直に言って面白くなかったです。
つまらないわけではない。でも面白いかと言うと、そうでもないという……。
観客席に座りながら、これが本当にあの『アベンジャーズ』の最終章なのかという疑問符でいっぱいでした。これで終わってしまうのかという。
原因として、

・尺の取り方がおかしい。二時間はこれといったアクションもなく会話劇に終始している。
・時間改変という禁じ手に手を出してしまった。
・結末ありきの展開が散見される。
・強いはずのヒーローがなぜか突然役立たず君になる。
・ヒーロー大集合後の尺が足りなさ過ぎて……。

などなどの問題点が挙げられるのですが、一番大きな点はこれでしょう。

『市井の人々の描写がほぼ皆無』

映されるのはヒーローたちとその家族のみ。人口の半数が突然塵となって消えてしまい、大混乱に陥っているはずの一般の人たちが今どうなっているのか、ほとんど描写がないのです。

冒頭でキャプテン・アメリカ(以下キャップ)が数人と交流していたくらいで、サノスの蛮行が人々の間ではどう解釈されているのかがよくわからない。

アントマンが自宅に帰った際には、通りにゴミ袋が積み重なっている様が見える。ゴミの回収は行政の管理だから政府に何がしかの破たんがあるのかと思えば、あの日消えてしまった人々の名を刻むモニュメントが、綺麗に整備された広場に並んでいたりして、それを作るほどの余力はあるのにごみは回収しないの……? と疑問がわく。

そもそも人々は突然の消失がサノスという宇宙人の手によるものであることを知っているのだろうか? アベンジャーズが彼と戦い、敗北したからこその結果であることは認識しているのか?

多分、答えは「No」なのだろう。とあるダイナーでハルクが幼い少年少女に大人気だったのを見るに、もし人々が真実を知っていたならアベンジャーズは糾弾されてしかるべしだろうから。
だけど正義感に溢れるキャップが、世間に真実を隠したままでいられるだろうか。冒頭で一般人に混じり、それでも「僕は前に進むよ」と言っているんだぜ? うーむ……。

そんな感じでもやもやーっとしたまま物語は進み、画面には敗戦後のこれでもかといった悲壮感ばかりが漂うこと二時間近く。そこでようやくインフィニティ・ストーンが再びアベンジャーズの手元にそろうわけです。

「よっしゃ、これで消えた人々を戻せるぜ!」と気合を入れての指パッチン

おおっ、これは地球上が歓喜の渦になるんじゃないの? やったぜ、アベンジャーズ! と前のめりになるじゃないですか。

だがしかし。

映さない!!!


映らんのだ、復活シーンが。
「はああぁ?」ってならざるを得ないでしょうが。

何となくやりたかったことはわかるのだ。
あえて仲間が生き返ったかどうかは映さず、直後にサノス来襲・大軍隊が押し寄せてきて、アベンジャーズ絶望……。そこから上空に突然ゲートウェイが次々と開き、復活したヒーローたちが颯爽と現れる。
主役のピンチに仲間が駆け付ける。めちゃくちゃ熱い構図です。
あのシーンを劇的にするために、復活の絵面をあえて出さなかったんですよね。タメにタメてからのカタルシスがどーんってのをきっとやりたかったんですよね?
うんうん。


だめだろうが!!!!


客観性が著しく欠如している。しすぎていると思うわけです。
今回は最終章ということもあり、ヒーローたち個人をクローズアップしている。五年前の敗北により、ヒーローであることをやめた者、家族ができて第一線を引いた者、かろうじて踏みとどまった者たちもかつてのように華々しい活躍はできなくなっている。
以前とは違う立場となった彼らに密着し、個人としての人間性を描きたい。それはわかる。
でもクローズアップしすぎていないか? 近づきすぎて、周囲がどうなっているかを無視しすぎていないか?

[adchord]

 

まずサノスが再び来襲したのがどこなのかがわかりにくい。前回インフィニティ・ウォーのときはそもそも周囲から隔絶され、隠された国ワカンダが舞台となっていたため、ワカンダ以外の市井の人々が襲撃を知らず、彼らが映されなくても違和感はなかった。
だけど今回はどうだ?
アベンジャーズがタイムスリップに使った秘密基地はどこにあったの? ある程度人里離れた場所だったかもしれないが、それだって何キロか先には人々が暮らす町が存在したのではないのか?
人口の半数の命を奪った巨悪が再び来襲――世界が騒然となってしかるべしだろう。各国の軍隊だってその存在を察知するだろうし、空をTV局のヘリが飛び回り、人々に危機が迫っていることを知らせるのが普通だ。
なのに本作はそれを徹底的に省いている。

ヒーローは一体、何があるからヒーローたるのか?
彼らをヒーローたらしめるのはなんなのか?

力なき人々の声だろうに!

ヒーロー映画において、悪に虐げられる人々の存在を省く。するとどうなるか?
異様に盛り上がりにかけるのだ。彼らの行動に説得力が欠けるのだ。
そもそも、彼らアベンジャーズ他ヒーローたちは、第一歩を何のために立ち上がった? 
トニー・スタークは?
アイアンマンのプロトタイプはなるほど自分の命が脅かされて生まれた。だが実機を稼働させたきっかけはなんだった? 自分の作った武器が無慈悲な武装集団の手に渡り、中東の罪もない人々の命を奪い始めた。それを見て初めて、がむしゃらにスーツを着て飛び出したのではないだろうか。
名も知らぬ人々のために数千キロを飛び続け、自国の軍に攻撃される危険すら犯し、けれど力なき人々を守るために戦場に飛び込んだのだ。
もちろん彼らの根底に名もなき人々がいることは、観客も理解している。11年という月日をかけて、彼らの生い立ちや活躍を描き続けたのだから。
だが、「今まで十分描いた、だから今回はそれを省こう」というのは間違いであると思う。
アベンジャーズ:エンドゲームはシリーズの最終章だが、観客はこれを一本の映画として見に行く。つまり、エンドゲーム単体で映画として完結させていなくてはならないのだ。

ヒーローたちはいつだってひどい目に遭っている。
傷つき、倒れ、誰からの理解も得られず、独善的に人助けをして、ありがとうの言葉すらもらえず、異能ゆえに糾弾されることもある。私生活は破たんし、やりたいこともやれないまま、痛いし、怖いし、苦しいし、なんで俺がこんなことをしなくちゃならないんだと苦悩する日々。
強敵の一撃で精根尽き果て、血反吐をはいて地面に転がり、もうだめだ、もう立てないと思うその時。

助けを呼ぶ、声がする。

だから、立ち上がる。
それがヒーローってものだろう。


なのになぜ原動力となる人々を映さないのか。

せめて倒れたキャップのそばに一輪の小さな――本当に小さな野花が咲いているとか、ちょっとだけ交流のあった名も知らぬ少女の持っていたボールが転がっていたとか、そんなものでよかった。
かつてそこにあったはずの幸せを思い、平穏を思い、だがそれらを蹂躙せんと容赦なく近づくサノス。彼の巨大な足に踏みつぶされんとしたその時、キャップの手が蛮行を止める。
そんなワンシーンがあるだけで、ヒーローがヒーローたりえることができたと思う。
そうであったならば、あの台詞にも納得がいった。

「And,I am Iron Man」

何故彼がそれを選択したのか?
アイアンマンだったからだ。トニー・スタークではなく、ヒーローとして、あの行動を選んだのだ。まさに鉄の男=鉄の意志だ。
家族がいた。トニー・スタークとして守るべきものがあった。だが彼はヒーローとして、個人の利を超え多くの人々を助けるために、サノスという暴虐に立ち向かったのだ。
その説得力が、トニーがあの台詞を口にするまでの盛り上がりが、非常に希薄なのである。

思えば『アベンジャーズ』は、一人の男が『アイアンマン』になることで始まり、『アイアンマン』であることで終わりを迎えた物語だ。
ヒーローたちの敗北から再起の流れがもう少し上手く描けていれば、上記の台詞は唯一無二の完璧なものになっただろうにと残念ではある。

けれど、これだけの一大叙事詩をまとめきるだけでも大変だっただろうし、11年の間素晴らしい作品を作り続けてくれたスタッフとキャストの方々には感謝してもしきれないくらいです。
本当にありがとうございます。
好きすぎてうだうだ文句を言っておりますが、大作の完結編を目にすることができて大変光栄です。
アベンジャーズ以後の作品も楽しみにしております!

以上、ぐだぐだな初回の感想でした。
劇場公開が終わったら詳細な感想を書きたいと思います。

最後に一言。

アイアンマンは仕方ないけど、ナターシャは許さんぞ。

タイトルとURLをコピーしました